灰釉蔵骨器

資料名(ヨミ)カイユウゾウコツキ
遺跡御林跡遺跡
時代・時期平安時代
解説 御林跡(おはやしあと)遺跡内の火葬墓から出土した、平安時代の灰釉(かいゆう)短頸壺(たんけいこ)と灰釉椀(わん)です。椀は蓋として転用され、壺と組み合わせて、火葬骨の容器である蔵骨器(ぞうこつき)として使用されました。短頸壺は口径11.9cm、胴部最大径22.7cm、高台径15.4cm、器高25.1cmで、椀は口径17.7cm、高台径8.6cm、器高5.1cmという寸法です。椀は完形、短頸壺も口縁端部のごく一部が欠けるだけという良好な状態です。
 蔵骨器の納められた墓は小型の地下室状で、南側に開口し、スロープ状の入口が設けられています。玄室の天井部分は奥壁へ続く部分を残して大半が崩落していましたが、床には細かく砕かれた木炭が厚さ5cmほど充填されていたため、玄室の本来の規模が幅84cm、奥行き73cm、高さ65cmだったと推定できます。短頸壺はこの木炭の床の中央に配置され、蓋に使われた椀は東側にずれ落ちた状態で検出されました。
 椀は猿投窯(さなげよう)の黒笹(くろざさ)14号窯式(9世紀前葉から中頃)に比定されるもので、内面には重ね焼きの際に器同士の溶着を防ぐための窯道具である三叉(さんさ)トチンの跡が残っています。短頸壺は黒笹14号窯式のものより若干長胴化した傾向が認められることから、椀よりはやや後の時期のものと考えられます。外面には口縁端部から胴部中位にかけて釉こぼれが認められます。
 これらの優美な高級陶器による蔵骨器は、平安時代前期に行われていた火葬の風習を具体的に示すのにとどまらず、火葬を採り入れていた社会階層を示唆する、非常に興味深い資料と言えます。

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