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奈良三彩小壺

資料名(ヨミ)ナラサンサイコツボ
遺跡坊作遺跡
時代・時期奈良時代
解説 奈良三彩(ならさんさい)と呼ばれる施釉(せゆう)陶器の小壷です。高さ4.4cm、幅6.8cm。
 三彩陶器は、鉛を媒熔剤とする釉薬を低火度で施釉し、緑・白・褐の三色を発色させた鉛陶です。陶芸先進国である唐(とう)で発明されましたが、施釉に高温度を要さないため技術伝播が可能で、周囲の国々でも流行しています。わが国でも高級陶器として奈良時代に造られました。唐の唐三彩に対し、わが国の製品を奈良三彩と呼びます。三彩のような多彩釉陶器が流行したのは奈良時代で、平安時代には単彩釉の緑釉陶器が好まれるようになります。
 奈良三彩が、どこでどのような体制で焼かれたのか、詳しいことはわかっていませんが、平城京からあまり離れていない場所に小規模な国家直営工房を営み、生産されたと考えられています。正倉院に納められた優品がよく知られています。貴重品のため、遺跡から出土するのは畿内がほとんどで、地方では国府や国分寺などの重要遺跡から、ごく少量が見出されるのみです。
 坊作(ぼうさく)遺跡は上総国分尼寺の造営集落とされることから、出土した三彩小壺も寺の器物だったと考えられます。小壺は薬師如来像が手にする薬壺(やっこ)によく似たもので、用途は不明です。寺の様々な祭事に用いられたと考えられますが、寺ないしは寺僧のステイタスシンボルとしても機能したのでしょう。
 ちなみに下総国府でも、和洋学園国府台キャンパス内遺跡から同様の小壺が出土しています。これら2点の小壺は、千葉県を代表する三彩陶器として知られています。

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