長岡省吾資料

名称ヨミながおかしょうごしりょう
数量11,893点
内容広島平和記念資料館初代館長・長岡省吾氏が収集し、自宅に残していた資料。瓦などの被爆資料や調査記録等の文書資料、写真フィルム、プリントなど多数にのぼる。2015(平成27)年5月12日に遺族より寄託され、その後、2017(平成29)年10月22日に寄贈に変更となった。
長岡氏は、墓石などに残された熱線の跡の傾斜角度や方向を測定のうえ、膨大な資料の整理・分析を行い、爆心地を測定した調査論文を発表した。また各学校、広島市内、広島市近郊の町村から原爆死没者・被災者の名簿を集め、被爆者の実数を調査し、晩年には、コバルト60が含まれる鉄資料の収集を行い、被ばく線量の調査を行った。被爆資料の重要性にいち早く気づき、これらの資料によって、原爆被害の実態を明らかにしようとした長岡氏が、生涯を捧げて収集した貴重な資料は、広島平和記念資料館の礎となっている。
関連資料渡辺武男、山崎正男、小島丈兒、長岡省吾、平山健『広島および長崎両市における原子爆弾災害物の地質学および岩石学的観察』(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編『原子爆弾災害調査報告集 第一分冊』掲載)(1953年、日本学術振興会)
Edward T. Arakawa、長岡省吾『広島に於ける原子爆弾の炸烈点の決定 -線量測定から見た意義』
(1959年、広島原爆障害対策協議会『原子爆弾後障害研究会講演集』掲載他)(1961年、広島医学会『広島医学 1961.1 Vol.14 No.1』掲載他)
長岡省吾『長崎における原子爆弾炸裂点ならびに爆心点決定について』(1961年、長崎原子爆弾後障害研究会『原子爆弾後障害研究会講演集 別刷 長崎医学会雑誌36巻11・12号 特集』掲載他)
Harry. H. Hubbell、Edward T. Arakawa、長岡省吾、上田尚一、田中直『原子爆弾の炸裂点 1.熱線による残影に基づく推定・長崎』(1966年、国立予防衛生研究所、原爆傷害調査委員会『ABCC業績報告書 5-66』掲載他)
橋詰雅、丸山隆司、白貝彰宏、田中栄一、伊沢正実、河村正一、長岡省吾『原子爆弾からの空気線量の推定 広島・長崎』(1967年、厚生省国立予防衛生研究所、原爆傷害調査委員会『ABCC業績報告書, 6-67』掲載他)
寄贈/寄託者長岡省吾氏遺族
言語日本語 英語
資料形態文書、フィルム、写真プリント、被爆資料他
関連文献長岡省吾『廃墟に佇つ』(ひろしま編集部『ひろしま1950.08』掲載)(1950年、広島鉄道局)
長岡省吾編『広島 原子爆弾による被害状況-1953』(1953年)
長岡省吾『廣島あの日から』(1955年、資料集成後援会)
『アサヒグラフ 1961.08.11』(1961年、朝日新聞社)
長岡省吾『"ひろしま" 原子爆彈による被害状況 HIROSHIMA : under atomic bomb attack』(1961年)
浜井信三『原爆市長-ヒロシマとともに二十年』(1967年、朝日新聞社)
『生死の火 広島大学原爆被災誌』(1975年、広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会)
『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(1977年、広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会)
田賀井篤平編『石の記憶-ヒロシマ・ナガサキ 被爆試料に注がれた科学者の目』(2004年、東京大学総合研究博物館)
田賀井篤平編『石の記憶-ヒロシマ・ナガサキ』(2007年、智書房)
田賀井篤平『はじける石・泡立つ瓦 蘇る石の記憶-ヒロシマ・ナガサキ』(2020年、智書房、星雲社)
越前俊也『長岡省吾による被爆資料の収集・公開・展示 広島平和記念資料館開館前後の状況について』(『人文學 第200号』掲載)(2017年、同志社大学人文学会)
佐藤真澄『ヒロシマをのこす 平和記念資料館をつくった人・長岡省吾』(2018年、汐文社)
若尾祐司、小倉桂子『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡 上』(2018年、名古屋大学出版会)
石井光太『原爆 広島を復興させた人びと』(2018年、集英社)
志賀賢治『広島平和記念資料館は問いかける』(2020年、岩波書店)
閲覧方法事前に学芸課に問い合わせください。
一部の資料はオンラインで画像を閲覧することが可能です。
作成年代1945年~1973年
資料種別文書、写真、被爆資料他

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