黒田清輝《若い青年の肖像》
若い青年の肖像
| 作家 | 黒田清輝 クロダセイキ |
|---|---|
| 制作年 | 1891年 |
| 材質、技法(形状) | 油彩・布 |
| 作品寸 (縦、cm) | 46.0 |
| 作品寸法 (横、cm) | 38.5 |
| 作品識別番号 | 2014-8 |

黒田清輝《若い青年の肖像》
| 作家 | 黒田清輝 クロダセイキ |
|---|---|
| 制作年 | 1891年 |
| 材質、技法(形状) | 油彩・布 |
| 作品寸 (縦、cm) | 46.0 |
| 作品寸法 (横、cm) | 38.5 |
| 作品識別番号 | 2014-8 |
| 作家名(ヨミ) | クロダセイキ |
|---|---|
| 作家名(英語) | KURODA Seiki |
| 生年月日(西暦) | 1866年 |
| 生年月日(和暦) | 慶応2年 |
| 没年月日(西暦) | 1924年 |
| 没年月日(和暦) | 大正13年 |
| 略歴・解説 | 鹿児島に生まれる。通称は新太郎。画家としての読みは「せいき」だが、本来の読みは「きよてる」、教え子からは「メートル(maitre、フランス語で先生の意)」と呼ばれた。東京外国語学校を卒業。明治17年法律家を目指してフランスに留学するが、パリで山本芳翠や藤雅三、美術商の林忠正らに会い絵の勉強を始める。帰国後、天真道場を開設。明治29年、白馬会を結成。明治28年には東京美術学校教授となり後進を指導。帝国美術院院長(第2代)、貴族院議員などを歴任した。それまでの日本に概念がなかった裸体画を持ち込み、西洋的な寓意を含んだ構想画を試みたが、日本の土壌では根付かず、自身も自然スケッチ風の作品へと回帰していった。 |