支那事変出征団員武運長久祈願 日立第三支部
| 資料名(ヨミ) | しなじへんしゅっせいだんいんぶうんちょうきゅうきがん ひたちだいさんしぶ |
|---|---|
| 特別利用区分 | 申請必要 |
| 撮影時期 | 1937年(昭和12)8月 |
| 撮影地 | 東滑川町1丁目(小幡公民館 旧阿弥陀堂前) |
| 解説 | 1937年7月中国北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突した。北支事変である。当初局地的な戦いであったが、8月に入り全面的な戦争状態に入った。日立町の青年団の中からこの事変へ出征する団員がおり、その安全を祈願したときの写真。北支事変は9月2日に「支那事変」と改称される。この写真に入れられた右側の説明のうち「昭和12年8月」は撮影時期で、その時は北支事変であったから、9月以降この写真が焼き付けられるときに「支那事変」と加えられたのだろう。場所は、阿弥陀堂前。阿弥陀堂は30人ほどが入ることが出来る集会所。左側は夜警詰所。3列目左から3人目の大和田兼松さんは、1938年(昭和13)9月に応召し、宇都宮野砲兵第二十聯隊に入隊した。輺重兵として軍需品の輸送・補給にあたり、39年12月28日、広東省従化県牛背の山岳地帯で迫撃砲を有する敵と遭遇し戦死した。 |
| 提供者名 | 永山堯康 |
| 大分類 | 歴史写真 |
| 中分類 | 戦災と生活 |
| 小分類 | 兵士 |
| 資料ID | 27708 |
