埴輪と絵馬

名称ヨミハニワトエマ
時代昭和(戦後)
解説馬と人と犬と牛を模った造形物(はにわ)と絵馬。久慈平神社に奉納されたもの。久慈比良明神(久慈平と同じ)。

久慈平神社は、大野と種市と軽米が境を接する久慈平岳の山頂付近に鎮座されている。勧請の敬意は不明であるが、『岩手県神社名鑑』によると、大同年間(806~810)より修験の霊峰とし、牧場を有していたことから、建久四年(1193)に「馬頭観音」を祀ったことが信仰の基になったとされている。源九郎判官義経の愛馬もこの地の産との伝説もある。一方では、南北朝時代(1336~1392)に、領主久慈備前守が戦場馬の放牧地として(久慈平岳の名称のの始まりともされる)馬頭観音を祀ったとの説もあり、この地が古くから馬の守護神、お蒼前さまが祀られた地として、南部地方一帯から広く崇拝されていたことをうかがい知ることができる。宝暦4年(1754)に、代官、山崎勘太夫によって社殿が再興されている。以来、旧5月19日が祭日とされ、例祭が行なわれるようになったといわれる。

久慈平神社の例祭は、この地方では「岳の日(だけのひ)」と言われ、牛馬を飼う農家では、馬を引きつれて参拝し、お蒼前さまを崇拝する各地方からの参拝者で大いに賑わっていた。また、昭和20年代ごろまでは、山頂付近は、地区の農作業を終えた農耕馬の放牧地として、広大な野場の中を馬がかけ回っていたという。しかし近年の農業の機械化の中で、農作業用の農耕馬の姿は見られなくなり、例祭もかつての賑わいが見られなくなっていった。現在は、山頂に整備されたキャンプ場等の「山開き(毎年6月の第1日曜日)」の祭りが開催され、当日の安全祈願祭に合わせて、旧南部地方の愛馬会等の馬数十頭が連なる「登坂行列」が再現されており、観光客は、当時の「岳の日」をしのぶことができる。神社は、明治4年(1871)3月に祭神を豊受姫命に変えている。

久慈平岳の山開きには、大野の明戸伝承駒踊り保存会による駒踊りが奉納されている。
(参照:大野村誌より)
サイズ
地域久慈平岳
資料ID246OMS_00241

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