和座八龍神楽_衣装_着物

名称ヨミワザハチリュウカグラ_イショウ_キモノ
時代不明
解説和座神楽が舞で使用していた着物。

昭和62年には種市町指定無形民俗文化財(現在は洋野町)に指定された。
しかし、現在は舞手の不足などで後継者育成が困難となっており、約400年の伝統ある「八龍権現和座神楽」の保存会は活動を休止している。

〈参考〉
和座神楽の別当種市家が代々継承
昔むかし、久慈平岳のふもとの和座村に、一人の山伏が権現様を背負ってきて、村人に「実は、この権現様は熊野権現と羽黒権現を一つの木でおつくりした日本三権現の一つで、大変ご利益のあるものである。ここまで来たら急に重くなって歩くことができなくなってしまった。きっと、鎮座されたいのであろう。尊い権現さまであるから、お宮を建てて祀るがよかろう」と、権現さまを置き立ち去っていった。
ある時、八木の浜から八戸の湊にかけてクジラが33頭もとれ、八戸二万石の殿様は大喜びで大漁祝いに藩中の権現さま33体を招いた。別当たちは殿様に招かれたものだから、それぞれの衣装で飾り権現さまを連れていった。しかし、和座の別当は大変貧乏だったので、ボロボロの衣装しかなく、なさけなくも末席に置かれ小さくなっていた。
その晩は皆、明日の競演のため寝つかれなかった。ところが、真夜中になって急に神棚のほうでドタン、バタンというものすごい音がしたので、別当たちは恐ろしくなりふとんをかぶり震えていた。
やがて、夜明けも近くになり騒ぎも静まったので、恐る恐る布団から顔を出してみると-。なんど、神棚の権現さまがあたり一面に落ち転がっており、最上段に和座の権現さまが厳然と納まり周囲を圧していたのである。
これを聞いた八戸の殿様は、初めて和座の権現さまの尊さを知り、たくさんの供物をし別当に褒美まで与えた。それ以来、だれ言うことなく二万石権現と称し崇め奉るようになったと伝えられている。
そして、今も代々別当であった和座の種市家に大切に守り継がれている。
(種市町のむかし探訪より)
サイズ
地域和座・大谷
資料ID243TMS_00075

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