庚申塔(平内・日月神社)

名称ヨミコウシントウ(ヒラナイ・ニチゲツジンジャ)
時代江戸時代
解説平内地区にある庚申塔。
建立時期は、寛政11年7月4日
庚申塔には、「寛政十一年 庚申供養 七月四日 平内村 孫八 三太・・・・」と刻まれている。名前は9名である


庚申信仰は、中国の道教の三尸という説がもとになり、日本では平安時代に宮廷を中心に信仰され、鎌倉時代から室町時代になって地方の武士や一般の人々にも広がり、そして、江戸時代に講という信仰団体の組織がつくられるようになり、全国に広がってきた。
 道教の三尸(さんし)という人間には見えない虫がいて、毎日その人の行動を見て庚申の夜、人間が眠っている間に体から抜け出して天に行き、天の神様にその人の行動を全部報告する。天の神様は、その報告から悪い行いをした人の命をとったり死ぬ時期を早くしたりする。だから、悪いことをしなければ良いのだが、そのような人は少なく、ほとんどの人は多かれ少なかれ悪いことをしているようだ。
 三尸は庚申の夜、人間が眠っている時に点に報告に行くので、命を短くさせないためには、この庚申の夜に眠らないで三尸が報告に行けないようにすればよいということから、この夜は太陽が出るまで眠らないで過ごすという信仰が生まれた。この道教の信仰に仏教や日本に昔からあった信仰が複雑に入りまじってできたのが、日本の庚申信仰だともいわれるが、基本はこの三尸の説である。
 庚申の日は、普通の年は6回あるが、5回ある年と7回ある年があり、5回ある年を五庚申、7回ある年を七庚申と言い、五庚申の年は「種なし(不作)」、七庚申の年は「ケカズ(飢渇)なし」などといわれる。
 なお、この庚申は、十干(甲乙丙…)と十二支(子丑寅…)を組み合わせてつくる。最初は甲子(きのえね)、最後は癸亥(みずのとい)で60組でき、60日に1回、60年に1回転するため60歳になると還暦と言ってお祝するのはこのためである。
(種市町のむかし探訪・種市町の文化財2 種市町の石碑Ⅰより)
サイズ縦50*横52cm
地域平内
資料ID220TRS_00042

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