久慈平神社

名称ヨミクジヒラジンジャ
時代江戸時代
解説久慈平神社は、洋野町の旧大野村と旧種市町にまたがる久慈平岳の八合目付近に鎮座している。久慈平岳は古来より修験の霊峰であり、また馬の放牧地となっており、建久四年(一一九三)に馬頭観音を祀(まつ)ったことが信仰の始まりといわれている。
宝暦三年(一七五三)には、この地方は風水害、霜害により不作であったため、翌年に代官の山崎勘太夫が久慈平神社の社殿を再興し、武運長久、五穀豊穣を祈願した。
九戸地方は、古くから馬産地であり源義経の愛馬の産地であるとの伝説があるが、久慈平岳にも久慈備前守が戦場馬の放牧地として馬頭観音を祀ったともいわれる。
軍馬でなくとも、昭和に入ってからも馬は貴重な労働力であり一般においても欠かせない存在であり、昭和三十年代までは、農作業が修了した農耕馬を山頂の野馬で放牧していた。そのため馬の守護神であるお蒼前さまが祀られている地として、広く信仰を集めた。祭日は旧暦の五月十九日で、「岳の日」として多くの人に親しまれてきた。
『八戸藩勘定所日記』の文化元年(一八〇四)の五月十三日に久慈平明神の管理についての論争の記録があるのだが、「一、明神堂の縁日は五月十九日だが、その時は諸方より参拝に人々が集まり、そのためいろんな商人も集まり、茶屋も数軒でるので一通りでない群衆になる・・・」といった内容の一文があるので、当時から岳の日はとてもにぎわっていたことがわかる。
近年まで、町内外を問わず、牛馬を飼う家では、馬を牽(ひ)きつれて参拝に訪れ、昭和前期にはその参拝馬の行列が初夏の風物詩となっていた。また、境内に出店がたちならび、まさに岳のお祭りであったという。
最近では、馬を飼育する農家も少なくなってきたが、久慈平岳開きの際に愛馬会等の馬数十頭を連ね、登山魚列が山開きの安全祈願とともに行われる。
(北三陸の歴史探訪~久慈・九戸地方の風土と人物~)より
サイズ
地域久慈平岳
資料ID211ORS_00030

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