児島高徳図
| 名称ヨミ | コジマタカトクズ |
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| 時代 | 大正 |
| 解説 | 鳴雷神社に奉納されている。 大正3年甲寅歳9月6日に中野村小子内(種市地区)の川崎富蔵氏から奉納されたものである。絵は児島高徳の図であると思われる。児島高徳は生没年未詳だが、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した備前国出身の武士である。軍記物語『太平記』に登場、三郎、備後三郎、備後守とも呼ばれることもあるが、正式な官位ではなく通称である。本姓は三宅、氏は藤原ともいわれる。『太平記』中では備前の三宅一族が名乗った和田、今木といった苗字で表記される場合もあり、「児島」を「小島」と書き換える表記もある。 1331年の元弘の乱以降、後醍醐天皇に対して忠勤を励み、南北朝分裂後も一貫して南朝側に仕えた。晩年は出家し、志純義晴と号した。正式な法名は、志純義晴大徳位。 江戸時代以降、南朝の忠臣として讃えられ、特に皇国史観の下での学校教育において忠臣・児島高徳は絶好の教材となり、その結果国民的英雄のひとりとなった。 |
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| 地域 | 馬渡・大野中区・仲町 |
| 資料ID | 204ORS_00160 |


