/2

入幕した当時の藤ノ川

名称ヨミニュウマクシタトウジノフジノカワ
時代昭和(戦前)
解説体格見込まれ上京 六代藤ノ川を襲名
 昭和36年から44年まで横綱を張り、柏鵬時代を築き一世を風靡した、十一代柏戸を育てたのは、種市平内出身の伊勢ノ海親方である。
 十代伊勢ノ海親方は、本名佐々木秀剛大正7年(1916)5月3日に種市平内に生まれ、久慈農林学校を卒業後、昭和11年(1936)に大学を受験するといって上京するが、実際は身長5尺9寸(178センチ)、体重20貫(75キロ)の体格を見込まれ、大相撲に入るため上京した。このため、父親左右三の勘気をこうむる。
 同年1月場所、新弟子検査に合格。翌12年5月場所に藤川のシコ名で春日山部屋から土俵に登り、序ノ口は全勝、13年1月場所序2段、5月場所三段目、14年1月場所幕下と一場所ごとに躍進を続け、昭和15年1月場所には十両いり果たしている。入幕は、16年5月場所であった。
 この当時の大相撲は、1月場所(春場所)と5月場所(夏場所)の年2回しかなかった時代であったが、彼は6場所で十両入り、9場所目で入幕するというスピード出世だった。
 そして、昭和15年5月場所において伊勢ノ海部屋ゆかりの6代藤ノ川を襲名する。この当時、藤ノ川は伊勢ノ海部屋所属ではなく春日山部屋の所属であった。
 伊勢ノ海部屋は、江戸時代の宝暦年間(1760年ごろ)から連綿と続いた由緒ある角界の名門で、門下からは大横綱谷風も出ている。しかし、この当時の9代伊勢ノ海は、小結に上がったことのある9代柏戸であったが、弟子は少なかった。このため、9代伊勢ノ海は弟子の多い同門の春日山部屋にあずけて育成した。
 その後、6代藤ノ川はスピード出世し、昭和16年には入幕したのである。
 そこで、9代伊勢ノ海は自分の部屋を起こし、藤ノ川の返還を春日山親方に申し出た。多少のトラブルがあったようだが、養子縁組の形をとり円満に移籍、これ以後伊勢ノ海部屋の所属となる。
サイズ
地域平内
資料ID101TS00151

PageTop