小高い丘に建つ川尻の塩釜神社

名称ヨミコダカイオカニタツカワジリノシオガマジンジャ
時代昭和(戦後)
解説明治の神社改革で改称 丹内大権現合わせ祀る
 種市には塩釜人神社が川尻地区と小子内地区の二カ所にあり、川尻の塩釜神社は、JR八戸線種市駅から焼く1.5キロほど北方の小高い木の生い茂った丘にある。
 この神社の創建年代は不明だが、八戸市立図書館で所蔵している宝暦9年(1759)の『八戸廻神社書上』という古文書に、「1、丹内 川尻 清能 但棟札元文元年辰6月15日」お記録されている。また、この神社に文化14年(1817)の棟札があり、それには丹内大権現と書かれている。
 このことから、この塩釜神社は元文元年(1736)以前からあり、丹内神社と称し、祭神は丹内大権現であったものと思われる。
 その昔、塩の生産は重要な産業であったため、明治初めの神社や寺院などの制度改革の時、塩の神様の塩土老翁神と海の神様の綿津見神、市杵姫命と勧請し、それに丹内大権現を併せてまつり塩釜神社と改称したものと思われる。
 この短内さまに次のような話が伝えられている。
 昔、ある時、川尻の神社の小使キツネでたんないギツネというのがあって、二万石権現として有名な和座の権現さまと叫び声がどちらが高いかカケをしたそうだ。
 まず、和座の権現さまが叫んだところ近くの鹿や猪は皆倒れてしまうほど、それは恐ろしい叫び声であったそうだが、たんないギツネは、権現さまが叫びだすと穴に入って両手で耳をふさいでしまうので恐ろしいことはなかった。
 叫び終わると出て来て「なんだ、それだけか」といって、同じことをくり返していたが、最後に権現さまが精根かぎりに叫んだところ鼻から口まで裂けて血みどろになって逃げてしまったという。
 さすがの和座の権現さまもたんないギツネにいっぱいくわされてしまい、それからというもの和座の権現さまは、川尻を通る時には、小さくなって頭があがらなくなったということだ。
サイズ
地域川尻
資料ID101TS00125

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