久慈平岳の胎内くぐり

名称ヨミクジヒラダケノタイナイクグリ
時代昭和(戦後)
解説善人はなんともないが悪人通れぬ胎内くぐり
 久慈平岳の地名の由来は、アイヌ語であるとの説、葛がたくさん生えていたからという説や久慈備前守の放牧場があったためであるなどの説がある。
 昔、久慈平岳と種市岳(階上岳)が背くらべをしたという。久慈平岳は「おれが高い」種市岳は「いや、おれのほうだ」といって互いに譲らなかった。
 そこで、ちょうど空を飛んできたワシに「おれたちのどっちが高いか空から見てくれ」といった。ワシは空高くあがったり近寄ったりして見ていたが、どちらが高いかわからなかったので、「どっちが高いかわからない。たぶん同じ高さだろう」といった。
 それでも納得しない久慈平岳と種市岳は「いや、ぜったいおれのほうだ」と言い合い譲ろうとしなかった。このため、ワシは「両方の頭上にトイをわたし水を流せば水は低いほうに流れるはずだから、今トイを持ってくる」と言って、空高く舞い上がり唐の国にカネのトイを借りに行った。
 負けたくない久慈平岳は、その間に馬のクツを重ねてその上につま立ちをした。トイを持って帰ったワシは、両方の頭上にトイを渡し水を流したところ、水はどっちにも流れなかった。これはおかしいと思ったワシがよく見ると久慈平岳が馬のクツにつま立ちをしていた。これはひきょうだとワシにいわれたため、久慈平岳が下りたとたんに水が久慈平岳のほうに流れた。それで馬のクヅを敷いた岳ということからクズヒラという名称がついたという。そして、この馬のクツを置いたところが二ツ森になったともいう。
 また、この久慈平岳の蒼前神社から約600メートル降りたところに巨大な岩が露出している所がある。この岩に人間一人がやっと通れるくらいの割れ目がある。
 この割れ目を通りぬけることを「胎内くぐり」といって、善人にはなんともないが、悪い事をした人には内で大蛇が見えて恐ろしくて通れないとか、岩がくずれてつぶされるとかいわれている。
 昔、熊に追われてここへ逃げこんだところ、熊も入ってきたが熊は岩石につぶされて死に、その人は命びろいしたとも伝えられている。
サイズ
地域久慈平岳
資料ID101TS00112

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