種市で1組発見された鉄製のオシラサマ

名称ヨミタネイチデ1クミハッケンサレタテツセイノオシラサマ
時代昭和(戦後)
解説人間と馬の顔した気性の荒い目の神様は鉄製
 オシラサマは、一般的に桑の木でできているものが多いが、たまに竹製のものもあるという。
 種市のオシラサマは、ほとんど桑の木であるが、鉄製のオシラサマが1組発見された。このオシラサマは、頭部と胴体は鉄製で、胴体の内部は空洞となっており、その空洞部分に桑の木の棒がはめられ、棒は長い年月、手に持って遊ばせたため摩耗している。形は、人間と馬の顔をしている。
 大きさは、人間の形をしている方は、全長26.5センチ、鉄製部分は15センチある。形式は包頭であり、オセンダク(着物)の種類は、和紙・麻・木綿・真綿・絹・化繊と多彩で、たいへん大事にされてきたこをうかがうことができる。
 性格は、目の神様であり、たいへん気性の荒い神様でもあるという。
 昔は、正月の16日に親類や近所の人たちが供え物を持って集まり、精進料理とお神酒をいただきながら、よく遊ばせたものだという。
 このオシラサマが桑の木でなく、なぜ鉄製であるか伝承がないため不明である。
 しかし、九戸地方は原料の砂鉄と燃料となる木炭用の木材が豊富にあったため、昔から鉄を産出し、特に江戸時代中期から末期にかけて、南部(特に九戸地方)の製鉄業は、出雲地方(島根県)と並び、日本における鉄の二大産地として、藩の財政を支えるほどであった。
 種市には、その中心となる大野六鉄山のうちの太谷鉄山があった。また、そのほかにも、人々はひそかに山中で鉄や蜜鋳銭(ニセ銭)を造っていた。このように、鉄の入手が簡単で、鉄の加工技術も持っていいたことから、鉄のオシラサマがつくられたものと思われる。
 だが、なぜ鉄よりも加工が簡単な木材を使用しないで、信仰に直接関係ないと思われる素材である、鉄を使用したか疑問は残る。
 また、このオシラサマを所蔵している家は、山伏の家系であり、その関係の古文書も残されている。山伏がオシラサマの製作に関与していたと考えるならば、この家のオシラサマ以外にも、鉄のオシラサマは存在しているのかもしれない。
サイズ
地域和座・大谷
資料ID101TS00106

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