昭和8年3月3日の三陸津波後の小子内の魚粕共同製造場

名称ヨミショウワ8ネン3ガツ3カノサンリクツナミゴノオコナイノサカナカスキョウドウセイゾウジョウ
時代昭和(戦前)
解説明治、大正も豊漁続く
漁法の主体は地引き網
明治になってもイワシの大漁が続いており「私の生まれた年はイワシが大漁で、大浜の湾にいっぱいイワシが入り、それは大漁だったそうだ。その年は明治20年8月です」
漁法は、主に地引き網によったらしいが、巻き網・刺し網・流し網・定置網などでも捕ったようである。
流し網は、主に戦前に使用されたようで、夕方沖に出て網を投入し朝方あげて帰り、各自浜で煮て脂を搾り乾かして、八戸の鮫の業者に主に売ったという。定置網も件から免許を得ておこなわれたらしい。
しかし、このイワシ漁も近年は沿岸にくるイワシの資源量が減ったことや、沖合いの漁場で高性能の巻き網などで捕られてしまうため、イワシの沿岸への接近は少なくなり、これらの漁法による漁獲は衰退し、今ではたまに観光用に地引き網が見られる程度になってしまった。
サイズ
地域小子内
資料ID101TS00076

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