カツオ漁などに功績のあった高見松太郎徳碑
名称ヨミ | カツオリョウナドニコウセキノアッタタカミマツタロオトクヒ |
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時代 | 明治 |
解説 | 明治末から大漁が続く バケ針には独自のコツ 種市でカツオは現在ほとんど揚がらないが、昔はよく揚がったようで、宝暦五年(1755)一月二十五日の八戸藩勘定日記に「小子内浦の久内が小子内で始めて与板船を買い求めカツオ漁をしていた…」とあるように江戸時代にはカツオ漁が行なわれていたようである。なお、与板船とは、長さが6~9メートルぐらいで、10人から16人ぐらい乗り組み、風のあるときは六段の帆で走り、風のないときは櫓をこいで走る当時としては大型な漁船であった。この与板船を行いの久内は野田から買い求めている。 このように江戸時代から行いでカツオを捕っていたが、明治になって高見松太郎が小子内で改良船と呼ばれた船でマグロやカツオを捕っていたという。 その漁法は、ほとんどよそと同じだったようで、まず捕ってきたイワシを生みに浮かせてある大きなイワシカゴに入れておき、カツオが来たらその生きたイワシを船のカメに入れ沖に出てイワシをまいてカツオを誘い、まずカツオ針に生きたイワシを付けて釣り、次第に多くなったら、バケ針(擬餌=ぎじ針)で釣った。バケ針だと何倍も釣れたが、独特のコツが必要であったため、十人中三人ぐらいしか上手にできなかったという。 このようにして釣ったカツオは、主に地元の業者が買い取りカツオ節に加工して売ったようである。 なお、このカツオを釣るエサのイワシを入れるカゴは、種市町漁業共同組合角浜生産部より寄贈され種市歴史民俗資料館に展示してある。 |
サイズ | |
地域 | 小子内 |
資料ID | 101TS00071 |