カゼ(ウニ)ムキ作業

名称ヨミカゼ(ウニ)ムキサギョウ
時代昭和(戦後)
解説大規模増殖場造成と種苗生産で栽培漁業推進
種市町は近年「捕る漁業から作り育てる漁業」へ転換を図るため、昭和50年(1975)から種市町特有の120ヘクタールに及ぶ干潮時に干出する岩盤を活用した大規模増殖場を造成するとともに、それまで北海道などから購入していたカゼ(ウニ)の種苗を町で生産供給するため、昭和62年(1987)に岩手県北部栽培漁業センターを種市町に誘致し、種苗を生産し県内の各漁協に供給し栽培漁業を推進している。
カゼは干潮時手さぐりで探して採るか、クマデ・タモ・カゼアミ・カンズキ(素潜り)で採る方法が知られている。クマデ・タモによる方法は、カッコ船から箱メガネで海底をのぞきながら、主に岩場にいるカゼはクマデ、平場にいるカゼはタモを使用して採った。また、初めはタモを使い次第に警戒してカゼが岩に吸い付いて採りにくくなった時は、クマデを使用したりもした。
なお、箱メガネは明治25年(1892)ごろから種市では使用されたようだが、それ以前は、ナタネ油・魚油・魚のキモをつぶして海にたらし、海面の乱反射を防ぎカゼやアワビを採ったといわれている。
カゼアミは、カゼワッカ・カゼナワともいわれ、木を円形にしたワッカのなかにワラ縄で編んだ石を入れ重しとし、さらにその上にコンブやワカメなどの海藻を入れ海底に沈め、そのエサとなる海藻をカゼが食べているところを引き上げて採ったが、その際、カゼアミを沈める位置にコツがいった。それは、海藻の少ないところに沈めるとたくさん採れたが身入りの少ないカゼはかりであった。また、海藻の多いところに入れると周囲にエサが豊富にあるためカゼアミにカゼが入ってこなかったためである。
なお、このカゼアミは、現在はアワビも入ってくるため共同採り以外では使用されていない。
カンズキは、万葉集に「伊勢の海女の朝な夕なに潜くといふ鮑の貝の片思にして」とあるように潜るの古語「かづき」がなまったものである。
昔は、主に夏の干潮時にフンドシ姿に、水中メガネをかけ腰にヤグカリを付け潜って採った。このカゼは、たまに近くの町や村から買いに来るだけで、今のように商品価値が高くなかった。このためジョウカンスキは3回潜ればよいなどと言ってスネにヒガタができるまでたき火にあたって暖をとっていたものである。
サイズ
地域川尻
資料ID101TS00062

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