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鳴雷神社境内の手水桶

名称ヨミナルイカズチジンジャケイダイノチョウズオケ
時代江戸時代
解説鳴雷神社境内にある「施主 濱谷氏」と刻まれた手水鉢。
浜谷(屋)茂八郎は当時八戸領第一の鉄山経営者であったので、材料鉄の支給をし、小鍛冶を農民に稼業させることは、浜谷自身の利益にもつながる。農具は生産量・価格とも、鉄山経営者によって独占された。江戸時代の農家は農業だけでは生活できず、兼業農家が一般的であった。山国のこの地方の農間の稼ぎは、炭焼き、漆の採取、木材の切り出しなど微々たるものであった。
※材料鉄・・・鋤・鍬等の原材料は鉏鉄を用いた。大鋤一丸の目方は鉏鉄十二貫で鋤二十個(こおり)、工賃は一丁四五〇文で売値は二貫七〇〇文で販売は春にのみ行った。

(大野村誌第二巻 史料編1 歴史の残映から 史料で知るムラの姿)より

参考
鳴雷神社は、旧大野村の鎮守であり、地元の人からは雷神様と呼ばれ親しまれている。宝暦八年(1758)の勧請といわれ、京都上賀茂の賀茂別雷神社(元官幣大社)の今宮として、明治四年(1871)三月に村社に昇格している。祭神は鳴雷神社で、古来より国家安泰、武運長久、五穀成就を祈願してきた。
藩政時代には、八戸藩主南部公からの尊崇も厚く、また、遠く江戸の承認、和泉屋甚兵衛が文化十四年(1817)に石造狛犬一対を奉納しており、地方神社としては著名であった。
サイズ縦41*横87cm
地域馬渡・大野中区・仲町
資料ID004OS00173

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