角浜駒踊り(昭和25年~26年頃)

名称ヨミカドノハマコマオドリ(ショウワ25ネン~26ネンコロ)
時代昭和(戦後)
解説昭和25年~26年頃に撮影された角浜駒踊りの写真。

昭和17年に伝承された角浜駒踊りは、戦時中なので戦地で逝去された方々や亡くなった馬の供養、地域では先祖の供養を中心に活動していたとのこと。昭和30年代中期になり会員の高齢化と国の経済復興に同調し、若い会員の出稼ぎ等で活動が出来ない状況になった際、角浜婦人会の勇姿が踊り手となり、駒踊りの灯を絶やすことなく事無きをを得た時代もあった。
(文芸ひろの創刊号より)


「角浜駒踊り」は、古くから馬の産地として知られる南部地方の駒踊りで、二歳馬の野馬取りの様子や、戦国時代の出陣の様子、戦場での騎馬の様子などを舞踊化したとも言われ、常に人々の支えであった馬の安全と、戦地で果てた馬や先祖の霊を慰める為に舞ったものと伝えられている。
青森県三戸郡階上町赤保内の駒踊りから昭和17年に伝承され、「角浜駒踊り会」を結成。

昭和53年に「角浜駒踊り保存会」と名称変更し、現在も保存会と共に地元の小中学校の児童たちにより継承されている。
昭和62年(1987)には、種市町(現洋野町)無形民俗文化財に指定された。

駒踊りは、駒をつけて演じる7種類の演目と、棒やなぎなたなどを用いて演じる7種類の棒舞の計14種類の演目がある。
踊り手は、着物に陣羽織、タスキ・ハチマキを身につけ、1mほどの桐材で作製した駒をつけ、12頭(12人)の「駒」が、笛や太鼓、手平鉦の囃子に合わせ、勇壮に飛び跳ねて踊る。駒は前駒・中駒・後駒がそれぞれ3名ずつで構成され、踊りながら、「ヨササノサエ」「ヨイトコサッサ」の掛け声が入る。
サイズ
地域角浜・伝吉
資料ID325TRS_00005

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