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【南部もぐり】第一回国勢調査員の宮城拝観・新宿御苑拝観に関する通牒
名称ヨミ | 【ナンブモグリ】ダイイッカイコクセイチョウサインノミヤギハイカン・シンジュクギョエンハイカンニカンスルツウチョウ |
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時代 | 大正 |
解説 | 第一回国政調査員の宮城拝観並びに新宿御苑拝観に関する件の通告。 収第二八一五号 大正十二年六月十四日 種市村役場 磯崎源三郎 殿 第一回国勢調査員ノ宮城拝観并新宿御苑 拝観ニ関スル件通牒 標記ノ件ニ関シ統計局長ヨリ其ノ筋ヲ経テ別 紙ノ通リ通牒有之候ニ付此段及移牒候也 通牒(字) 従来第一回国政調査員ノ宮城内并新宿御苑拝観 出頭方ニ付テハ申出ニヨリ主々本局ニ於テ取計ヒ居リ候處 自今宮城拝観は 聖上陛下御在京被在ラ ルサル場合ニ限リ御聴許可相成旨宮内省ヨリ通知 有之候ニ付右ノ為念管下通達相成様致度尤モ 新宿御苑ノ拝観ニ関シテハ従前ノ通リ差許サル ノ趣ニ有之候 追テ右出頭ニ付テハ左記諸項了知スル様併テ御通 達相成度 記 一資格 イ、 第一回国勢調査員(但内閣ヨリ辞令ヲ交付セラレタル予備 員ヲ含ム) ロ、 第一回国勢調査記念章ヲ授與セラレタルモノ ハ、 其ノ他第一回国勢調査ノ事務ニ従事シ貴廳ニ於テ 特ニ前項該当者ニ準スル者ト認メラレルヽモノ ニ、以上ニ該当スル者ヲ引卒スル一都市区町村會議員吏員 又ハ小学校職員 二、服装 非禮ニ渉ラサル程度ニシテ履物ハ成ルヘク靴又ハ 草履ヲ用ヒ歯ノ付キタルモノハ之ヲ避ケルコト 三、其ノ他 御聴許相成タル上は晴雨ニ不拘拝観スヘキコト 『南部もぐり』の歴史は、1898年(明治31年)に種市の沖合で貨客船が座礁。解体引き上げ工事のために千葉からやってきた潜水夫の達人:三村小太郎が、人夫として雇われていた地元の青年、磯崎定吉(のちに南部もぐりの祖といわれる)の素質を見抜き潜水の特訓を行ったことから始まる。 ヘルメット、潜水服(ドライスーツ)、鋳物製の潜水靴、バランスを取るために胸の前後に取り付ける鉛など、装備の総重量は約70Kg。地中深くに潜って特殊な作業をする潜りには自分の命を預ける綱持ちやポンプ押しなど多くの人の力が必要となる。徒弟制度で受け継がれてきた南部もぐりでしたが、1952年(昭和27年)には全国で唯一、潜水士を養成する「岩手県立久慈高等学校定時制種市分校潜水科」(現「種市高等学校海洋開発科」)が開設され、卒業生たちは三陸の豊富な魚介を捕る沿岸養殖漁業のほか、国内外で、港湾土木や橋りょう工事、海底調査など幅広く活動するまでになった。 |
サイズ | 縦24*横16.5cm |
地域 | 小橋 |
資料ID | 322TRB_00096 |