保田龍門

作家名(ヨミ)ヤスダリュウモン
生没年(西暦)1891-1965

略歴・解説

1891年、和歌山県那珂郡龍門村に生まれる。本名重右衛門。1912年東京美術学校予備科(西洋画科志望)入学、助教授の長原孝太郎にデッサン指導を受ける。在学中は藤島武二に師事する。在学中より二科展に《自画像》などが入選。1913年、東京美術学校彫塑科の教室で石井鶴三の仕事を見、知己の仲となる。彫刻の制作を始める。1915年、藤島武二より人体描写指導を受ける、また、藤井浩佑を訪ね、夜間藤井のアトリエで彫刻を研究。1945年、1917年に東京美術学校卒業後、翌年第5回再興院展に《男(石井氏の像)》が樗牛賞受賞。1920(大正9)年日本美術院同人となる。同年渡米、のちパリに赴き、ブールデルに師事。1923年帰国後院展に《首(クリスティ-ヌの首)》を出品。1925年病を得て郷里に引き上げる。以後本拠を龍門村、ついで大阪に定める。1930年、長男春彦生まれる。1953年和歌山大学学芸学部教授(1959年まで)。1965年堺市の自宅において逝去。戦後は中央に発表せず、名古屋市平和公園のレリーフや立像群などの制作を行った。

この作家の資料一覧[全65件]

PageTop