安田靫彦

作家名(ヨミ)ヤスダユキヒコ
生没年(西暦)1884-1978

略歴・解説

東京都中央区生まれ。本名新三郎。下村観山、菱田春草らの作品に触れ画家を志す。1898年小堀鞆音に入門。磯田長秋らと紫紅会を結成。小堀鞆音の師である川崎千虎から靫彦の号を受ける。1900年紫紅会に今村紫紅が入会したことにより紅児会と改称する。1907年岡倉天心に認められ、1911年頃から原三溪の支援を受ける。1914年日本美術院の再興に参加。同年、大磯町東小磯に転居。1940年法隆寺金堂壁画模写事業に従事。1944年東京美術学校の教授となる。1948年、文化勲章受章。2002年、当館にて「安田靫彦ー歴史画の魅力」展開催。やまと絵を基盤に歴史画にすぐれた作品を多く残した。

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