三岸節子

作家名(ヨミ)ミギシセツコ
生没年(西暦)1905-1999

略歴・解説

愛知県一宮市生まれ。1921年本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事。1924年女子美術学校卒業後、画家三岸好太郎と結婚。翌年長女誕生。家事と育児の合間に制作し、第3回春陽会に初入選を果たす。春陽会展初の女性入選者となる。1932年からは独立美術協会展入選。1934年、好太郎が急逝。3人の子どもを抱えながらも画家として身を立てる決意を固める。同年、独立展に出品する女性画家と女艸会を結成。さらに1936年、女性画家7人による七彩会を結成し、女性画家の中心的な存在となり、活躍をみせる。1939年には新制作派協会会員となり、以後ここで活躍。1954年からフランスに滞在。軽井沢、大磯と転居し、再び渡欧。そこで風景画家としての新境地を拓いた。1982年には再び大磯にアトリエを構える。

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