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那賀郡東岩出并今畑村・同郡池田組山論吟味裁許帳・馬瀬山筋一巻扣・海神・春日両社願出写シひかへ・氏子共神主出入願書

名称ふりがなながぐんひがしいわでならびにいまはたむらどうぐんいけだぐみさんろんぎんみさいきょちょう うませやますじいっかんひかえ うなかみかすがりょうしゃねがいでうつしひかえ うじこどもかんぬしでいりねがいがき
大分類古文書
員数3冊
材質紙本墨書
法量まとめ①縦24.6 横17.2 ②縦25.0 横17.5 ③縦25.5 横17.2
時代江戸
世紀18
寄贈・寄託者名和歌山県立博物館
解説①岩出組東山下十三ヶ村・山崎組今畑村(いずれも岩出市)と池田組十八ヶ村(紀の川市)との山境目をめぐる争論において、享保10年(1725)に紀伊藩から出された裁許書の写で、岩出組東山下十三ヶ村の主張に有利な裁定がなされている。②紀伊国那賀郡馬瀬山をめぐって起こった山論において、寛政2年(1790)から同6年までの間に東山下十三ケ村の村々が大庄屋藤田銀八に出した口上書の控。馬瀬山については、東山下十三ヶ村と西山下十二ヶ村との間で入会争論が起こり、明治時代まで続いた。③那賀郡神領村の海神社と中三谷村の春日社(いずれも紀の川市)の祭礼や社殿修復・遷宮をめぐって、神主と氏子の間で争論が起こった際、寛政4年(1792)から同6年までに出された願書などの控。

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