浅野幸長書状
| 名称ふりがな | あさのよしながしょじょう |
|---|---|
| 大分類 | 書跡 |
| 員数 | 1幅 |
| 作者 | 浅野幸長 |
| 材質 | 紙本墨書 |
| 付属品 | 桐箱・紙たとう箱・巻止 |
| 法量まとめ | 縦31.5 横50.0 |
| 時代 | 安土桃山 |
| 世紀 | 16 |
| 元号 | 慶長4 |
| 西暦 | 1599 |
| 寄贈・寄託者名 | 和歌山県立博物館 |
| 解説 | のちに和歌山城主となった浅野幸長(1576~1613)から、熊本城主・加藤清正(1562~1611)の家臣で、熊本で留守をあずかる吉村橘左衛門に宛てた慶長4年(1599)2月の書状。塩肴の贈答への謝礼や「御吉兆」(徳川家と加藤家の婚礼か)などに関わる内容が記されている。幸長と清正は2度とも朝鮮に出陣し、慶長3年(1598)8月、豊臣秀吉の死去を契機に秋ごろに帰国している。帰国後、幸長と清正らは、秀吉の子・秀頼に拝謁するために上洛するが、閏3月9日に石田三成を襲撃していおり、関ヶ原の戦いの遠因となったといわれている。幸長は1年後の関ヶ原の戦いで戦功を上げ、紀伊国37万6千石に転封となった。 |