紀州箕島陶器仲間文書
| 名称ふりがな | きしゅうみのしまとうきなかまもんじょ |
|---|---|
| 大分類 | 古文書 |
| 員数 | 17点 |
| 時代 | 江戸~明治時代 |
| 世紀 | 19世紀 |
| 解説 | 有田川河口に位置する有田郡箕島村(有田市)の住人は、農間稼ぎという名目で、おもに国産の黒江漆器などを海路西日本各地に運び、帰路に伊万里焼を仕入れて西日本各地から関東方面に運ぶ仲買商人として活動した。彼らは、箕島陶器商人(宮崎陶器商人)と呼ばれ、「紀州箕島陶器仲間」とも称した。この文書群は、陶器仲間の一員であった福吉屋清兵衛家に伝来したものではないかとみられる。内容は、江戸府内で直売を行っていた箕島陶器商人と関東在方の問屋との出入りのこと、紀伊藩の殖産興業政策の中で生産が始まった南紀男山焼の販売経路に、従来の箕島陶器商人の販売ルートを活用しようとしたことや、航海安全の祈禱のため祇園社(箕島神社)への寄進などに関わるものである。 |
| テーマ | 海 |