/28

九里峡図

名称ふりがなくりきょうず
大分類絵画
員数2巻
作者岩瀬広隆
材質紙本著色
時代江戸時代
世紀19
解説 本宮・新宮間の熊野川沿いの景勝地を描いた上下2巻の画巻で、新出資料である。紙幅130㎝内外の特大の料紙を貼りつないで、淡彩で山水図風の景観を描き、その上から金砂子をちりばめるほか、三重の箱に収納されるという豪華なつくりとなっている。
 画面は連続しておらず、「九里八丁」とよばれ、約40㎞に及ぶ本宮から新宮へと至る熊野川両岸の代表的な景勝地を25景選び、若干前後するものの、おおむね上流から下流へと向かって、料紙1枚につき平均2図の割合で単独の風景として描かれている。画面上に景勝地の名称などの注記や付箋は全く見られないが、描写がかなり正確であるので、現在の景観や江戸時代の類例と対比することで、どの場所を描いたものかをほぼ比定することができる。落款により、京の出身で、『紀伊名所図会』の挿絵を描くために和歌山に招聘され、のちに紀伊藩のお抱え絵師的な存在になった岩瀬広隆(1808〜77)の作であることがわかる。広隆は、『紀伊名所図会』の資料採集のために、その編纂に関わった熊代繁里・加納諸平らとともに、弘化4年(1847)に熊野地方を歴遊したという情報があり、この作品の成立の背景に、現地でのスケッチや記憶が存在したことは容易に想定できるであろう。
 上巻の巻頭に、美濃出身で京都で活躍した書家・漢詩人の神山鳳陽(1824〜89)の題(明治4年(1871)9月)が記され、また上巻の巻末には、賴山陽の子で京の儒者・頼支峰(1823〜89)の跋(明治7年12月)、下巻の巻末には、近江出身で京の書家・漢詩人の江馬天江(1925〜1901)の跋(明治4年9月)があり、京の文人の題跋を加えて明治初年に成巻されたことがうかがわれる。

PageTop