五絶詩書
| 名称ふりがな | ごぜつししょ |
|---|---|
| 大分類 | 書跡 |
| 員数 | 1幅 |
| 作者 | 菊池海荘 |
| 材質 | 紙本墨書 |
| 付属品 | 桐箱・紙たとう箱・巻止 |
| 法量まとめ | 縦124.4 横27.2 |
| 時代 | 近代 |
| 世紀 | 19 |
| 時期 | 明治 |
| 元号 | 明治5年 |
| 西暦 | 1872 |
| 寄贈・寄託者名 | 和歌山県立博物館 |
| 解説 | 菊池海荘(1799~1881)は、砂糖問屋河内屋の次男として栖原(現・湯浅町)に生まれた。幼少の頃から漢詩を学び、詩人としても有名である。頼山陽、渡辺華山ら幕末の思想家と交流し、異国船の来航に備える要を説いた「海防余言」を建白、農民の立場に立った海防論者として活躍した。本品は、自作の五言絶句2行に書したもので、質素ではあるが豊かな文芸の香りのある自らの暮らしを詠む。第4句の「正気歌」とは、中国・南宋時代末期の忠臣・文天祥(1236 ~83)による五言古詩のことで、元(モンゴル)に捕らえられた文天祥が、処刑を待つ獄中で至元18年(1281)に作ったもの。忠君愛国の志を述べており、わが国では幕末の志士が好んで朗詠したという。「庚申七十三翁」という遊印が捺されており、干支は「壬申」の誤りであるが、海荘73歳、明治5年(1872)の時の作とわかる。 |