加太沖引揚青磁器

名称ふりがなかだおきひきあげせいじき
大分類考古資料
員数5口
材質青磁・白磁
付属品なし
法量まとめ①高さ26.6 口径16.6 底径6.1 ②高さ28.7 口径15.1 底径6.3 ③高さ27.1 口径16.2 底径5.7 ④高さ6.7 口径14.5 底径5.0 ⑤高さ5.9 口径14.2 底径5.9
世紀15
寄贈・寄託者名和歌山県立博物館
解説 加太や深日の漁師は、沖ノ島と地ノ島の間の水道である沖ノ瀬戸の北、通称イカ場で、手操網(てんぐりあみ)漁を行うが、この網に時々陶磁器がかかることは幕末の嘉永6(1853)年には知られていた。その後も年間2、3点、延べにすると300点以上が引き揚げられた勘定で、それらの多くがほぼ同年代、同系統の青磁であったことから、日明貿易の沈没船の存在が予想され、昭和49年一帯が「友ヶ島海底遺跡」と命名されるにいたった。この5点の青磁碗も、それらのうちの一部である。
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