| 解説 | 西浜御殿は、現在の県立和歌山工業高校付近(和歌山市西浜)に所在した紀伊徳川家の別邸である。10代藩主徳川治宝(1771〜1852)は、文政7年(1824)に斉順(1801〜46)に藩主の地位を譲って隠居し、西浜御殿を住居とした。そして82才で死去するまでの26年間、ここで隠然たる勢力を持ち続けた。同時に、御庭焼(偕楽園焼)などの文芸活動の主要な拠点ともなった。西浜御殿の造営は、2代藩主光貞(1626~1705)の時代にさかのぼるといわれるが、治宝の時代、記録に残るだけでも天保5年(1834)と弘化2年 (1845)に大規模な増改築が行われている。本図は、南を上にして、墨線で簡略に描かれた御殿全体の平面図で、一部に建物や場所の名称の注記がなされるほか、南側の二つの池を取りまく庭園や、そこに営まれた亭や茶室などは写生図風に描かれている。建物の構成から、天保5年の増改築が落成した後の状況を示していると考えられる。左下に「西浜御殿之図/正木氏」という墨書があることから、「正木図」とよばれ、南東部分のみを描いた天保11年(1840)の「海野図」(和歌山市立博物館蔵)とともに、西浜御殿を描いた数少ない資料である。 |
|---|