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芸州広島ヨリ江波御船場迄御行列図
名称ふりがな | げいしゅうひろしまよりえばおふねばまでごぎょうれつず |
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大分類 | 絵画 |
員数 | 1巻 |
材質 | 紙本著色 |
付属品 | 桐箱・包裂 |
法量まとめ | 縦19.2 全長1880.5 |
時代 | 江戸 |
世紀 | 19 |
時期 | 後期 |
寄贈・寄託者名 | 和歌山県立博物館 |
解説 | 徳川茂承(1844~1906)は、13代慶福(1846~66)が将軍職に就いた後を受けて14代藩主となった。慶応元(1865)年5月、茂承は、幕府から第2次長州征伐御先手総督を命じられる。閏5月、大軍を率い和歌山を出陣し大坂に入り、翌2年6月3日、蒸気船明光丸で長州に出撃した。戦闘は8月まで続くが幕府軍の大敗に終わり、茂承も9月6日には大坂に帰還した。本図は、敗戦後の茂承以下紀州藩兵の帰還の様子を描いた行列図である。 |
テーマ | 海、装い |