田辺高女移転に関する毛利南方書状往復顛末
名称ふりがな | たなべこうじょいてんにかんするもうりみなかたしょじょうおうふくてんまつ |
---|---|
大分類 | 書跡 |
員数 | 31枚 |
作者 | 南方熊楠 |
材質 | 紙本墨書 |
法量まとめ | 各縦24.6 横33.6 |
時代 | 近代 |
世紀 | 20 |
元号 | 昭和9 |
西暦 | 1934 |
寄贈・寄託者名 | 和歌山県立博物館 |
解説 | 明治43年(1910)に建設された田辺高等女学校の校舎老朽化に伴い、昭和8年(1933)ごろから持ち上がった校舎の移転計画について、扇ヶ浜に面した旧台場公園の売却によって、町がその費用を捻出しようとしたため、毛利柴庵(清雅、1871~1938)らが反対運動を起こし、それに同調した南方熊楠(1867~1941)が神社合祀反対運動を始めた契機となったことが指摘される。この資料は、田辺高女の移転新築についても、熊楠が反対の意見を表明して著された原稿で、地元紙『牟婁新聞』で昭和9年10月から12月にかけて連載された記事の一部になったものと思われる。 |