垣内太次右衛門宛書状
名称ふりがな | かきうちたじえもんあてしょじょう |
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大分類 | 書跡 |
員数 | 7通 |
作者 | 菊池海荘 |
材質 | 紙本墨書 |
法量まとめ | ①縦16.2 横175.3 ②縦16.3 横111.0 ③縦16.5 横73.0 ④縦16.0 横106.4 ⑤縦16.0 横102.6 ⑥縦15.4 横203.0 ⑦縦31.2 横41.4 |
時代 | 近代 |
世紀 | 19 |
元号 | 明治5 |
西暦 | 1872 |
寄贈・寄託者名 | 和歌山県立博物館 |
解説 | 有田郡栖原村(湯浅町)の商家の出身で、幕末の海防論者・漢詩人として知られる菊池海荘(1799~1881)が、同族の太次右衛門(南家)に宛てた7通の書状で、内容からいずれも明治5年(1872)ごろのものと推定される。太次右衛門家は、房州(千葉県)を拠点としながら、江戸(東京)にも出店をもっていたとみられ、同じく東京・和泉町に出店をもっていた海荘の新家との関わりの中で、さまざまな情報のやりとりをした書状と考えられる。 |