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八王子町全図

資料名(カナ)ハチオウジマチゼンズ
文書群名
年代(和暦、年月日)明治42年9月1日
解説75.0×106.0㎝。八王子町は明治22年(1889)の市制町村制施行により誕生した。ほぼ江戸時代の八王子横山十五宿をその範囲とする。明治初年以降より神奈川県に属していたが、明治26年、北・西・南多摩の東京府編入にともない東京府南多摩郡八王子町となった。
神奈川県下であった明治12年(1879)、本町の禅東院内に南多摩郡役所が開設され、東京府への移管を経たのち明治30年の大火により庁舎は焼失。その後、馬乗に新築された。本図にも「八王子停車場」の西、税務署の向かいに「郡役所」とある。
図左下の凡例にあるとおり、各町の範囲が色分けされている。甲州街道沿いの町と同じ色が、その町から離れた場所に見られ、飛び地が多いことに気付く。また、馬乗あたりに注目すると「三崎町」の文字がある。三崎町は大正元年(1912)の町名改正で成立しているので、この文字はそれ以降に印字されたということになる。
裏面は「八王子町有名営業案内」と題して商店・織物業者をはじめ、医者・私塾などの宣伝広告が打たれている。広告料金を支払った業者に限られるため、これらが明治42年(1909)頃の八王子町で営まれていた全てではないものの、経済・産業・文教の拠点でもあったことを知ることができる。
編者は島政吉。発行人は八王子町横山92番地の熊沢広吉、発行所は同番地の文華堂。印刷は八王子町八日23番地大盛堂石版所である。
【画像2/2が裏面】

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