武州高尾山略絵図

資料名(カナ)ブシュウタカオサンリャクエズ
文書群名
年代(和暦、年月日)安政2乙卯歳春正月吉辰
解説34.5×47.5㎝。図の右下、参道の入口に「一のとりゐ(鳥居)」がある。江戸時代以前の神仏習合の状況を示しているが、明治時代に入ると、政府により神仏分離政策が進められる中、高尾山は仏教寺院としての存続を選択したことから、鳥居は撤去された。図の中央部やや左の山門の先に五重塔がある。現在は台座が残る。五重塔の脇にある石段を登ると、左から「ごま(護摩)堂」「薬師堂」「大日堂」が並んでいる。ここには現在、本堂が建てられている。図の左下には、江戸から高尾山までの道のりは十三里二丁(約52.4km)、高尾山から富士吉田口までは十五里半九丁(約62km)と示されている。

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