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顔面把手付深鉢型土器

資料名(カナ)ガンメントッテツキフカバチガタドキ
時代縄文(中期)
出土地 名称中原遺跡
解説土器の口縁部に把手のように顔が付けられるため「顔面把手付深鉢形土器」と呼ばれています。縄文時代中期ごろ、山梨~長野県域を中心とした東日本で盛んに作られ、多摩地域からも多く出土するとされています。
中原遺跡は、加住南丘陵にあがったゴルフ場建設の計画に先立つ昭和36年(1963)の甲野勇氏の指導の下に行われた都立第二商業高等学校考古学部による発掘調査以降、昭和41年(1966)まで7回の調査が行われ、縄文時代中期を主体とした竪穴住居跡17軒や土坑などがたくさん見つかりました。この資料は昭和36年の調査で、第2号竪穴住居跡からほぼ完全な形で出土したものです。竪穴住居跡内のピット中に据えられた波状口縁の深鉢形土器の中から顔面装飾部のみが発見され、その上に人面装飾部の接続する深鉢形土器と、別のもう一個体の深鉢形土器が重なり合って出土したとされています。器形は、底部算盤玉状となる屈折底で、胴部上半で緩やかにすぼまった後、キャリパー形に広がります。外面の色調は全体が褐色、口辺部および把手部は黒色で、胎土には金雲母が少量含まれます。器体全面は口縁部直下から棒巻縄文による縦方向の縄文が施されています。口縁下2㎝に、5か所の円文とこの円文を囲むように垂飾風の無文部分が磨消手法で施されています。内面は胴下半部がやや黒ずみ、部分的にわずかながらおこげの付着が確認でき、煮炊きに使用されたことがわかります。口縁部中央に、土器内面を向いた人面の顔を模した装飾が施されます。顔は、正面を正視した両眼が左右とも吊り上がり、眉は太い隆起線で表され、その先端は合して両眼の中間上部の所で尖った鼻となって終わり、二つの鼻孔がつけられています。口はほぼ長方形に深く横長にえぐられます。この顔面部を包む山形部分は向かって左側にわずかな沈線装飾を施し、右側縁には隆線がうねる蛇体装飾が見られます。眉上にあたる部分には三角形の刻みを交互に上下から入れた隆起線が頭頂部を作っています。顔面の両サイドには耳飾りを模して貫通孔のある突出部がつくり出され、背面外側は眼鏡状突起(環状把手)となっています。頭頂部から首の付け根までの高さは9.1㎝、人面の幅は耳飾りを含めた最大幅で13.6㎝、顔面から後頭部までの厚さは8.1㎝を測る勝坂2式期の土器です。  【市指定文化財】
法量-器高33.5
法量-重量

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