八王子町出火の寄附につき礼状

資料名(カナ)ハチオウジマチシュッカノキフニツキレイジョウ
文書群名030701 狭間町鈴木(俊造)家文書
年代(和暦、年月日)明治33年3月7日
解説八王子のまちの歴史は火災との闘いの歴史でもある。江戸時代、八王子宿は何度も火災に見舞われ、とくに文政7年(1824)の大火では家屋・物置・土蔵1200軒以上が焼失した。明治22年(1889)に旧八王子宿の範囲に成立した「八王子町」も明治26年と同30年に大火に見舞われる。明治30年4月22日午後3時40分に大横町にあった工場の失火から発生した「八王子大火」では八王子町の3分の2が焼けた。
本資料は八王子大火の際に罹災者救助として金1円を寄付したことを表彰したものである。別の家にも義捐金に関する資料が複数残されており、極めて大きな火災であったことがわかる。また、この大火では天皇・皇后両陛下から御救恤金4000円を下賜された。

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