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利根川川除普請争論裁許絵図

資料番号2005-34-24-2
大分類歴史
よみとねがわかわよけふしんそうろんさいきょえず
資料解説川除普請とは堤防の土木工事のことをいう。利根川と荒川の堤防を維持管理するため、寛永10年(1633)以降、忍領普請組合という村々の連合が結成された。本絵図は、組合村のうち西村・田島村・上奈良村・中奈良村・奈良新田(黄色)とそれ以外の38か村(桃色)とが川除普請の諸役負担をめぐって争った際、江戸幕府によって権断された裁許絵図です。訴えを起こした村々はいずれも中条堤の堤外地に所在し、増水時に冠水する地帯であった。広大な堤防の維持管理は流域で生活する人びとにとって必要不可欠なことであったが、同時に利害関係を越えて負担を分かち合うことがいかに困難なことであったかをうかがうことができる。
時代・時期江戸時代
年号・日付貞享4年(1687)3月22日
資料群名中村家文書

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