文政年間忍城図

資料番号2018-4-1
大分類歴史
よみぶんせいねんかんおしじょうず
資料解説凡例があり、肌色が屋敷、紫色が城、黄色が道、緑色が土塁、青色が水、白色が土蔵と長屋、濃緑色が草生、灰桜色が楼、灰色が島、桃色が町屋、赤色が宮社、暗灰色が寺院をあらわす。武家地には家臣姓名が詳細に記されている。松平下総守家は前忍城主阿部家に比べて国元に暮らす家臣団の数が一、五~二倍とも言われ、武家屋敷が不足する事態に陥った。一つの屋敷を分割し、借宅といって暫くの間同居することも行われたが、それでもなお武家長屋は不足した。そこで、従来あった馬術を稽古する馬場、弓術を稽古する矢場、炮術(小筒)を稽古する鉄炮矢場などの馬場曲輪に所在した武芸稽古場を廃止し、武家長屋を増築する決断を下した。武家屋敷の大きさもより零細になり、城郭北方の馬場曲輪内に所在していた馬場・矢場・鉄炮矢場が姿を消し、新たに武家長屋が建ち並んでいる様子がみてとれる。また、下新井の作事小屋が所在した地には新たに「御宮」の文字があり、東照宮がこの地に遷座されたこともわかる。この絵図は松平下総守家家臣斉藤家に伝来した絵図で、斉藤家にはほかにも旧居城である桑名城を描いた「勢州桑名城図」も伝わっている。
時代・時期江戸時代
年号・日付文政8年(1825)頃

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