忍城図

資料番号2022-103
大分類歴史
よみおしじょうず
資料解説樹木や木立の描写が彩色で盛り込まれている点、フケ田(深田)を淡い朱色で塗りつぶしている点が特徴的である。同じ特徴をもつ絵図としては、名古屋市蓬左文庫蔵「武州忍城図」、西尾市岩瀬文庫蔵「武州忍之図」、国立国会図書館蔵「日本古城絵図 武州忍之城図」等がある。内行田の南に普門寺と長永寺が所在(明暦3年〈1657〉に埼玉村へ移動)している点、本丸・諏訪曲輪・二ノ丸といった城郭中心部の東側において南北に続く木立と道が描写されている特徴をもつ。なお、後者の木立と道の存在は、北の木立(後の姥島ヵ)と南の曲輪(後の埋門の北部)とが陸続きになっていた時期があったことを物語っている。この陸続きの木立と道がいつどのように出来上がり、どのように消滅した(あるいは意図をもって人為的に崩された)かは現段階では定かではない。ただし、帯曲輪の造成以前に忍川の水流が土塁や植留を削っていた事実をふまえると、本来陸続きになっていたものが徐々に崩れていったとみるのが自然である。
時代・時期江戸時代

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