見沼代用水路星川新規掘割絵図

資料番号2018-26
大分類歴史
よみみぬまだいようすいろほしかわしんきほりわりえず
資料解説見沼代用水は、享保13年(1728)に8代将軍徳川吉宗の命を受け、普請奉行の井沢弥惣兵衛為永が差配して開削した農業用水路のこと。現さいたま市にはかつて見沼という農業用水の溜池があったが、沼を干拓して耕地にするにあたり、見沼の代わりになる用水を確保する必要があった。その流路は現在の行田市下中条から利根川の水を取水し、須加・小見・荒木を経て星川、そして忍川と合流させるというもの。用水と排水が混在するため、至る所に関枠圦樋を設け、落ち葉や枯れ木などを堰き止めるなど、維持管理のための設備が随所にみられる。赤い点線部が新たな掘割を示している。
時代・時期江戸時代後期

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