小針沼新田絵図

資料番号1993-2-2
大分類歴史
よみこばりぬましんでんえず
資料解説干拓され新田となった小針沼であるが、中堤の上流は「埼玉村新田溜井」になっている。また、中堤の下流にも「埼玉村新田大沼」が一部みえ、沼が返り咲きを果たしている。それほどに干拓によって周辺村々が蒙る水害の被害が大きかったことを物語っている。中堤には水濡れにも強い柳の木が植えられ、道も通っていた様子がうかがえる。なお、絵図の南側に「松平下総守領分…」とあることから、文政6年(1823)以降の絵図であることがわかる。松平下総守は、文政6年の国替によって忍藩主となる大名家です。
時代・時期江戸時代後期

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