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歌川芳虎 太平記屋間崎大合戦之図

資料ID228071
分野美術工芸
分野補絵画
区分実物
作者歌川芳虎
年代元治元年(1864)2月
材質大判錦絵三枚続
寸法(図録用)〈右〉縦35.6cm 横23.4cm 〈中〉35.8cm 横23.4cm 〈左〉35.5cm 横23.2cm
数量(単位)1口
解説文又は共通解説文本図は錦絵。画題中の「太平記」は「太閤記」を、「屋間崎」は「山崎」を言い換えたものです。天正10年(1582)の山崎の戦いに取材。痛手を受けた明智光秀軍の様子を描きます。画面左から順に並河掃部(かもん)易家(本図では名見川嘉門之介)、明智日向守光秀(本図では武智日向守通秀)、溝尾庄兵衛茂朝(本図では美曽尾惣兵衛)、明智十郎左衛門光近(本図では武智十郎右衛門)、比田帯刀(たてわき)則家(本図では比企田帯刀)、妻木主計頭(かずえのかみ)範賢(本図では津間木数衛)。則家の奥に見える、馬に乗って戦っているのは、斎藤内蔵助(くらのすけ)利三(としみつ)(本図では妻堂久良之助)で、光秀の家臣。織豊政権以後の武家に関する事柄を芝居や絵にすることは、江戸幕府によって禁止されていました。そこで、人名を変えたり、より古い時代のことに見立てたりして、芝居や絵を制作していました。

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