歌川豊宣 板垣君遭難之図
資料ID | 228052 |
---|---|
分野 | 美術工芸 |
分野補 | 絵画 |
区分 | 実物 |
作者 | 歌川豊宣 |
年代 | 明治15年(1882)4月20日 |
材質 | 大判錦絵三枚続 |
寸法(図録用) | 〈右〉縦36.6cm 横24.8cm 〈中〉36.5cm 横24.5cm 〈左〉36.6cm 横25.0cm |
数量(単位) | 3枚続 |
解説文又は共通解説文 | 本図は錦絵。板垣退助の遭難事件を伝える時局報道絵です。明治14年(1881年)、国会を同23年(1890)に開設するという国会開設の勅諭(ちょくゆ)が出されたのを機に、板垣は自由党を結成して総理(党首)となりました。以後、全国を遊説してまわり、党勢拡大に努めていました。明治15年(1882)4月6日、現在の岐阜公園にあった中教院で、板垣は相原尚褧(なおぶみ)に短刀で刺されました。このとき板垣が「板垣死すとも自由は死せず」と言ったかについては議論が分かれます。 |