私は広島を証言する
著者名 | 栗原貞子 |
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資料名ヨミ | ワタシハヒロシマヲショウゲンスル |
副書名 | 栗原貞子詩集 |
初版年 | 1967/07/15 |
出版年 | 1967/07/15 |
収載作品 | まえがき 第1部 原爆創生記 第2部 死の灰 第3部 日本を流れる炎の河 第4部 失われた夏 第5部 広島諸篇 第6部 愛と死 第7部 再び日本を |
備考 | <私家版> |
著者名 | 栗原貞子 |
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資料名ヨミ | ワタシハヒロシマヲショウゲンスル |
副書名 | 栗原貞子詩集 |
初版年 | 1967/07/15 |
出版年 | 1967/07/15 |
収載作品 | まえがき 第1部 原爆創生記 第2部 死の灰 第3部 日本を流れる炎の河 第4部 失われた夏 第5部 広島諸篇 第6部 愛と死 第7部 再び日本を |
備考 | <私家版> |
作家名名(ヨミ) | クリハラサダコ |
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出身地 | 広島県安佐郡可部町(現・広島市安佐北区) |
生年月日(和暦) | 大正2年 |
没年月日(和暦) | 2005年 |
略歴・解説 | 詩人・歌人・評論家。三入尋常小学校、三入尋常高等小学校を経て、1930年、広島県立可部高等女学校を卒業。歌誌『処女林』(のち『真樹』と改題)の同人となる。1931年、アナキスト栗原唯一と結婚。戦時下、「黒い卵」「戦争とは何か」などの反戦詩を書く。1945年、8月6日、広島市祇園町(現・安佐南区長束)の自宅で被爆。1946年3月、『中国文化(原子爆弾特集号)』を創刊。8月、詩歌集『黒い卵』刊行。1960年1月、正田篠枝、山口勇子らと「原水禁広島母の会」を発足。1967年、詩集『私は広島を証言する』、1976年、詩集『ヒロシマというとき』を刊行。 |