屍の街
著者名 | 大田洋子 |
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資料名ヨミ | シカバネノマチ |
出版社 | 河出書房 |
初版年 | 1951/08/15 |
出版年 | 1951/08/15 |
収載作品 | 序 いまだ癒えぬ傷あと 屍の街 一九四五年の夏 原子爆弾抄 |
収載作品 2 | 佐々木基一「解説」 |
備考 | 装丁:猪熊弦一郎 |
著者名 | 大田洋子 |
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資料名ヨミ | シカバネノマチ |
出版社 | 河出書房 |
初版年 | 1951/08/15 |
出版年 | 1951/08/15 |
収載作品 | 序 いまだ癒えぬ傷あと 屍の街 一九四五年の夏 原子爆弾抄 |
収載作品 2 | 佐々木基一「解説」 |
備考 | 装丁:猪熊弦一郎 |
作家名名(ヨミ) | オオタヨウコ |
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出身地 | 広島県山県郡(現・北広島町) |
没地 | 福島県猪苗代町の旅館 |
生年月日(西暦) | 1903/11/20 |
生年月日(和暦) | 明治36年11月20日 |
没年月日(西暦) | 1963/12/10 |
没年月日(和暦) | 昭和38年12月10日 |
略歴・解説 | 小説家。 広島県山県郡(現・北広島町)に生まれる。7歳のとき両親が離婚し、母の実家に帰り、その際に親戚の大田家に入籍する。九歳のとき母親の再婚により稲井家に連れ子として行く。広島市の進徳実科高等女学校在学中から作家を志し、1929年に短編小説「聖母のゐる黄昏」を発表。以後、破婚の体験もあり低迷するが、1939年に「海女」が『中央公論』の懸賞小説に一等入選、続いて翌年には『朝日新聞』の一万円懸賞小説に「桜の国」が一等入選して盛名を得る。1945年1月に郷里広島に疎開、8月6日に広島市白島九軒町の妹方で被爆する。この体験が作家としての洋子の後半生を決定づけ、「屍の街」や「人間襤褸」などで原爆作家としての地位を不動のものにした。だが、1950年代半ばから原爆をテーマにしなくなる。原爆症への恐怖は、最後まで洋子を苦しめた。 |