原爆詩集
著者名 | 峠三吉 |
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資料名ヨミ | ゲンバクシシュウ |
出版社 | われらの詩の会 |
初版年 | 1951/09/20 |
出版年 | 1951/09/20 |
収載作品 | 序 八月六日 死 炎 盲目 仮繃帯所にて 眼 倉庫の記録 としとつたお母さん 炎の季節 ちいさい子 墓標 影 麻 微笑 一九五〇年の八月六日 夜 ある婦人え 景観 呼びかけ あとがき |
備考 | 装丁:四国五郎 ベルリン世界青年学生平和祭参加詩集 |
著者名 | 峠三吉 |
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資料名ヨミ | ゲンバクシシュウ |
出版社 | われらの詩の会 |
初版年 | 1951/09/20 |
出版年 | 1951/09/20 |
収載作品 | 序 八月六日 死 炎 盲目 仮繃帯所にて 眼 倉庫の記録 としとつたお母さん 炎の季節 ちいさい子 墓標 影 麻 微笑 一九五〇年の八月六日 夜 ある婦人え 景観 呼びかけ あとがき |
備考 | 装丁:四国五郎 ベルリン世界青年学生平和祭参加詩集 |
作家名名(ヨミ) | トウゲサンキチ |
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出身地 | 大阪府豊能郡(現・豊中市) |
生年月日(西暦) | 1917/02/19 |
生年月日(和暦) | 大正06年02月19日 |
没年月日(西暦) | 1953/03/10 |
没年月日(和暦) | 昭和28年03月10日 |
略歴・解説 | 詩人。大阪府豊能郡(現・豊中市)に生まれ、父の故郷である広島市大手町で育つ。広島市立大手町尋常高等小学校を経て、1930年、広島県立広島商業学校(現・広島県立広島商業高等学校)入学。1935年、同校を卒業して広島ガス会社に就職するが、肺結核と診断され(後に気管支拡張症と判明)、療養生活に入る。療養生活中には俳句・短歌になじみ、児童文学作品も書いた。父と共に身を寄せていた、広島市翠町の三戸家(長姉・嘉子の嫁ぎ先)で被爆。被爆後の広島で花屋や貸本業を営んだり、広島県庁に勤務したこともあるが、敗戦後結成された各種文化団体の委員・委員長・編集長として活躍し、広島における民主的文化運動の中心的存在の一人であった。しかし、一進一退する病は全快することなく、国立広島療養所(現・東広島医療センター)で肺葉切除の手術中に死去。 |