島田雪谷

作家名(ヨミ)シマダ セッコク
作家名(英語)Sekoku SHIMADA
出身地福井
没地福井
生年月日(西暦)1826
生年月日(和暦)文政9
没年月日(西暦)1884
没年月日(和暦)明治17

略歴・解説

1826(文政9)年
福井藩士·島田九郎左衛門(重範)の家に生まれる。幼名は広意(ひろもと)。雪谷は次男であったと思われる。

1840(天保11 )年頃
14、5歳頃、福井藩の絵師岩尾雪峰について四条派を学び、雪峰の一字をもらい雪谷と号する。

1845(弘化11)年頃
19歳、隣家の橋本左内に書画を教える。

1848(弘化5·嘉永元)年頃
22、3歳の頃、加賀前田家に招かれた京都画壇の横山清暉が、福井に立ち寄った際に師事、四条派に磨きをかける。しばしば京都へ赴き、清暉の指導によって洛中洛外の神社仏閣の襖絵の模写研究に努める。雪峰酉涯両師を遥かに凌ぐまでに上達する。
松平春嶽から多芸の才を愛され、しばしば召されて槍の相手や絵の指南役を務める。
福井藩江戸藩邸、靈巖島下屋敷の屏風を担当し「古昔の名賢又遠近の名所古蹟」を描く。その後、雪谷の名は一躍藩中に知れ渡り、子安町角の雪谷の画塾には師匠の岩尾雪峰(嘉永五年没)をはじめ、同門であった友人、藩内の絵心のある者が入門、幕末から明治の初年にかけて一時は門弟千一人余りに達したといわれる。

1854(嘉永7·安政元)年
28歳。兄九郎左衛門に子がなく病気のため、弟の雪谷が養子となり、島田家の家督を相続。広意より範左衛門と名替。

1861 (万延11·文久元)年
35歳。大瀧神社奉納絵馬「酔季白」を完成。この頃、武生藩米澤家の照子(天保6年生まれ)と結婚したと考えられる。

1862(文久2)年
父母に伴われ数ヶ月に渡って北陸遊歴中の野口小蘋に絵を教える。小蘋に対して京都南宗画壇の日根対山への紹介の労をとる。

1865(元治11-慶応元)年
長男雪湖生まれる。

1867(慶応3)年
次男墨仙生まれる。

1868(慶応4·明治元)年
御趣意に付き役中御留守番入、6月5日病身につき陶役御免無役となる。この年の冬、引接寺の襖絵「虎図」を制作する

1870(明治11)年
雪湖、父雪谷に就いて絵を学び始める。

1876(明治9)年
50歳。「桜花群禽図」(福井市立郷土歴史博物館蔵)を制作する。墨仙、父雪谷に就いて絵を学び始める。

1882(明治15)年
第1回内国絵画共進会(農商務省主催)に、雪谷は円山派として「九十九橋真景」「牛」、南宗派として「松林山水」「蘆ニ鵞」を出品。雪湖は円山派として「象」「雲中双鴉」を出品。

1884(明治17)年
1月29日病死。福井市の浄土宗清圓寺に葬られる。57歳頃。

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