検索トップ 作家一覧から探す作家データ&資料一覧 三上誠 作家名(ヨミ)ミカミマコト 作家名(英語)Makoto MIKAMI 生年月日(西暦)1919 生年月日(和暦)大正08年 没年月日(西暦)1972 没年月日(和暦)昭和47年 略歴・解説 三上誠は大正8年8月7日、福井出身の両親の次男として大阪市で生まれました。旧姓は嶋田ですが、12歳の時に福井市の三上家の養子となりました。福井中学校(現・藤島高校)を卒業後、京都市立絵画専門学校で日本画を学びました。卒業後は同校の副手になるなど将来を嘱望されましたが、肺結核で一時療養のため帰福します。約2年間の療養生活を経て、再び京都に出た三上は、戦後の混乱期の昭和23年、山崎隆、星野真吾らと共に、日本画の前衛グループ「パンリアル」を結成、その翌年には大野秀隆(俶嵩)・下村良之介らを加え「パンリアル美術協会」へと発展します。彼らの運動は、日本画壊滅論が出るなど日本画の存在自体が否定されるような時代の中、斬新かつ創造的なものを追い求めていきました。三上の絵も、それまでの写生に基づいた穏健な具象表現から、『F市曼荼羅』のように、キュービズムやシュルレアリズムの影響を受けた前衛的な作風へと転換しています。 しかし、三上が32歳の時、肺結核が再発し、4回の手術により、11本もの肋骨を切除しなければなりませんでした。三上は大きな衝撃を受け、以後の彼の制作にも強く影響することになります。 退院後福井で過ごすようになった三上は、数年後、病体に鞭打ちながら、石膏、紐、ダンボール、木片等を貼り付けた、画面の質感を追求する新しい日本画の制作に挑戦します。 また、常に生と死の狭間で苦悶する中、三上の治療法でもあった東洋医学の鍼灸の経絡経穴図に造形上の着想を得て多くの作品を制作しました。『灸点万華鏡』の連作では、自らの変わりゆく肉体を無限に変幻してやまない‘万華鏡’に投影し、肉体の再生、復活を予感させる三上独自の宇宙観を展開しています。さらに晩年には、作品から以前のような色彩は消え、『鏡』に見られるような静謐さと深い思索に満ちたものへと変わっていきました。 この間、三上は、福井大学非常勤講師や県総合美術作品展の審査員を務めるなど、後進の育成や福井の美術界の発展に大きく貢献しました。こうした功績により、三上は、昭和46年、福井県文化協議会より第1回文化芸術賞を授与されますが、翌年1月16日、肺結核により、52歳の短い生涯を閉じました。 その生涯の中で多彩な変遷を遂げた三上誠の制作活動は、戦後の日本美術史上において高く評価されており、現代においても日本画というものを考える上で大きな指針となり得るものといえるでしょう。 この作家の資料一覧[全88件] 並べ替え 並べ替え 作品名 昇順 作品名 降順 作家 昇順 作家 降順 制作年(西暦) 昇順 制作年(西暦) 降順 制作年(和暦) 昇順 制作年(和暦) 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/9 次へ 最後» 作品 作家:三上誠 制作年(西暦):1944 制作年(和暦):昭和19年 雪の日の丘 作家:三上誠 制作年(西暦):1947 制作年(和暦):昭和22年 蓮と少女 作家:三上誠 制作年(西暦):1947 制作年(和暦):昭和22年 作品 作家:三上誠 制作年(西暦):1950頃 制作年(和暦):昭和25年頃 作品 作家:三上誠 制作年(西暦):1948頃 制作年(和暦):昭和23年頃 塔 作家:三上誠 制作年(西暦):1948 制作年(和暦):昭和23年 F市曼荼羅 作家:三上誠 制作年(西暦):1950 制作年(和暦):昭和25年 胸の花 作家:三上誠 制作年(西暦):1955 制作年(和暦):昭和30年 花がほしい 作家:三上誠 制作年(西暦):1955 制作年(和暦):昭和30年 荒地 作家:三上誠 制作年(西暦):1956 制作年(和暦):昭和31年 PageTop
並べ替え 並べ替え 作品名 昇順 作品名 降順 作家 昇順 作家 降順 制作年(西暦) 昇順 制作年(西暦) 降順 制作年(和暦) 昇順 制作年(和暦) 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/9 次へ 最後»