舞子
| 作品番号 | J-172 |
|---|---|
| 作家 | 村上華岳 |
| 制作年(西暦) | 1917頃 |
| 制作年(和暦) | 大正6年頃 |
| サイズ | 69.2×29.6cm |
| 技法 | 紙本着色 |

| 作家名(ヨミ) | ムラカミカガク |
|---|---|
| 作家名(英語) | Kagaku MURAKAMI |
| 生年月日(西暦) | 1888 |
| 生年月日(和暦) | 明治21年 |
| 没年月日(西暦) | 1939 |
| 没年月日(和暦) | 昭和14年 |
| 略歴・解説 | 日本画家。本姓武田、本名震一。明治21年(1888)7月3日大阪市に生まれ、昭和14年(1939)11月11日神戸で没、51歳。父の死により村上家の養子となる。京都市立美術工芸学校を経て京都市立絵画専門学校に進み、日本画家竹内栖鳳に師事する。明治41年(1908)第2回文展で「驢馬に夏草」が三等賞を受賞後、同展を中心に活躍、歌舞伎や文楽、浮世絵に傾倒した作品から次第に仏教美術に影響を受けた官能的作品を描く。しかし大正7年(1918)文展の審査内容の不審から、土田麦僊、榊原紫峰らとともに国画創作協会を結成。以後同展にて「日高川」「裸婦」など、東西両洋美術の融合を目指した作品を発表するが、21年(1923)持病のため京都から兵庫県芦屋に転居後は次第に画壇から遠ざかり、個展を中心とした仏教色の強い神秘的作品を制作。晩年は「紅葉の山」「太子樹下禅那」など、震えるような筆致に墨の濃淡や金銀泥を駆使した独自の画風で、山水、花鳥、人物など精神性の高い作品を遺した。 1939(昭和14)年歿。 |